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22歳より二年間、世界を放浪しました。何を求めていたのかは、突き詰めれば「心の自由」だったように思います。縁があって、インド、ネパールを半年旅しました。そのときの体験が私の人生を決めたといっても過言ではありません。ある朝、旅行仲間と何気なくインド洋に面した海岸に出ました。多分、朝食を求めてのことと思います。そのときふと豚(インドの豚は痩せていて、足も長く、その当時私は犬豚と呼んでいたのですが)が目に入りました。何気ない状況ではあっても、私にとっては、初めての安らぎが心に広がったのです。その豚は、自分とつながっていると、はっきり感じたのです。強い太陽の光が、私とその豚とに降り注ぎ、二つの生物、そして太陽も海も木々もすべてが溶け合い、本当に心から心の平安を感じました。とても、不思議な感覚でした。ただ、それまで、ヨーロッパ、中近東の、いわば善か悪かが支配する世界から、インドに入り、何かが違うこと、つまり自分のいるべき世界に近づいたと、はっきり感じていた矢先の、出来事でした。
その後、日本に帰り、本当はまた旅へ出ようと準備していたのですが、父親が脳溢血で倒れ、家のさまざまなごたごたもあり、決意して今まで結婚もし、子供を育て、いわゆる一般的な生活を営んでこの年齢にまでやってまいりました。
一昨年、父が他界し、リューマチを患っている姉のほうも何とか生活の目途がつき、子供達も自立し始めた今となり、その上、教師を長年続けてきたために、声帯を痛め、授業数を減らし、執筆に活路を見出さざるを得ない状況に現在なっております。ただ、私にとっては、以前から考えていた三番目の人生が始まるきっかけがやっと訪れたと、半分は歓迎したい気分でおります。ご存知のように、ヒンズー教徒は、人生を3つの時期に分け、勉強期、生活期、そして最後に隠棲期にわけ、隠棲期に入ったら、今までの物質的なものは捨て、心の平安を求めて、修行〈旅)に出るように、と教えています。私も全く同意見でこれまでの人生を生きてきました。ですから、そろそろその時期が近づいているのだなと、つらい反面喜びを持って、今の現状を受け入れております。
私は、すでに少しずつ仏教だけでなく、東洋の様々な思想を少しづつ勉強し始めているのですが、やはり数年後には何らかの形で、それを形にし、本格的な修行の道に進もうと考えております。年齢的には厳しいことは分かっておりますが、また何かしらの宗教団体に属さず、自ら「精神の自由」を求めていく道も考えているのですが、万一、場を与えてくるようなところがあれば、それに向けて、準備を指定校と考えております。生活は、執筆活動で、どうにかやっていくつもりでおりますので、それで生活の糧にしようとは考えておりません。できれば、最後には、寂れたどこかのお寺で、余生を遅れたらぐらいの希望は持っておりますが。何か、ご忠告・ご意見等ございましたら是非お聞かせください。
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