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我が輩などには縁がないと思ってすっかり諦めていたことだが、いや、まんざらでもないかもしれない。
もしかしたらおおいに縁があるかもしれない、ありそうだ、と考えを変えてみることにした。
そっちが楽しい。
ある朝、我が家の玄関先にお米の俵がうずたかく積み重ねられている。次の朝は、大判小判の百万千万両金貨のつまった箱が届けられている。
手紙が添えられていて「これはわたしたちからのお礼です、お納め下さい」と書いてある。
我が輩はびっくり仰天する。目をまん丸にする。嬉しくなってスキップをしてそこら中を絶叫しながら回り出す。
夢みたいだろうか。ありえない話だろうか。楽観的すぎるだろうか。
でも童話にはこんな種類の破天荒な、荒唐無稽なお話が多い。こどもたちはそれを読んで期待に胸を膨らませる。
期待に胸を膨らませることってすごく楽しい経験なのだ。たくさん経験をした方がいいのだ。
大きくなるにつれて、そんなことはありえない、非現実的だと観念することになる。期待もしなくなる。夢もなくなる。
こうなると胸もしょぼんとして萎んだままで、いっこうにふくらまない。年をとるにつれていよいよ萎み具合は度を増して行く。
でもね、もう一度期待を呼び覚ましてみようよ。大金持ちになる夢を見てみようよ。わくわくしてみようよ。
何かの拍子にどおおおおんと巨万の富をさずかることだってあるかもしれない。まだチャンスは残っているかもしれない。
金運でなくったっていい。何かとびっきり上等のグッドラックが飛び込んでくるかもしれない。もう一度こどものこころに戻ってみようよ。
花咲爺さん、魔法のランプ、シンドバッドの冒険、打ち出の小槌、わらしべ長者などなどなどなど、巨万の富が転がり込んでくる話を信じてみようよ。
いまになって、いや今だからこそ本気で信じてみるのも楽しいかもしれない。
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