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詩集「地獄行きはない」の原稿の素稿
投稿者:
ぼふう
投稿日:2009年12月 3日(木)15時20分12秒
地獄行きはない。
おおい、地獄行きの舟はないぞ〜〜。
安心しろ。安心しろ。すっかり安心しろ。
仏陀の国行きばかりだぞ。
おまえはなんにもしなくていい。
仏陀が仏陀の国に案内をしてくれるぞ。仏陀にまかせていりゃいいんだ。
そりゃ嬉しいねえ。
嬉しがった者からというんじゃないかなあ。そんなこともないよ。
無差別無条件。みいんな横一列さ。
よかったねえ。
よかったねえと言えるだけにしてあったのさ、はじめから。
これがダンマ。ダンマとは宇宙の真理。宇宙の法則性。おおいなる宇宙のいのち。
わたしもあなたもおおいなる宇宙のいのちを生きている。
おおいなる宇宙のいのちの中をおおいなる宇宙のいのちのわたしが生きている。
分けてもらう
投稿者:
ぼふう
投稿日:2009年11月 9日(月)10時36分11秒
カラスウリが赤く色づいている
葉を落とした山渋柿に蔓をつなげて
ぶらりぶらりと垂れている
秋の山に来て
わたしはこうして自然の美しい景観を分けてもらう
わけてもらうばっかりで
わたしが分けてあげられるものがない
わたしが分けてあげられるものはないのに
分けてもらってばかりであることが
すまない気持ちになってしまう
こころのうちにある西方浄土
投稿者:
ぼふう
投稿日:2009年 9月12日(土)18時29分10秒
今日はかっての同僚だった人の葬儀に参列した。長くお世話になったので、遺影の前で小さくお礼を述べた。
読経をしていたお坊さん(曹洞宗の)が、読経の途中で「西方浄土はこころの内にある」と述べたところが耳に残った。
死は肉体というかたちの喪失である。形を持たないこころは西方浄土に帰って行くが、そこは西方十万億土の彼方である。
十万億土の西方は、しかし、こころの内側にあるという。空間が、だから、なくなっている。空間は、形を持つ物体にはあるように見えても、形を持たないこころには無用なのだ、きっと。
時間も同じである。物体には時間が横たわっているように感じられるが、物体を離れたときには、時間は無用となる。
あってもなくてもどちらだっていいことになる。
空間は一カ所の中に無限に広がっているし、時間もまた1定点の真ん中に無限に凝縮されて揺らいでいる。
死もまたしかりだ。死が生の対象点に位置しているのではなく、包容しているのだ。死が生を包容し、生が死を包容しているのだ。
生まれながらに死に、死にながらに生まれていて、死生は同時性なのだ。
犬塚勉という無名画家
投稿者:
ぼふう
投稿日:2009年 7月13日(月)09時32分7秒
いい風が入り込んでくる。南風。夏はハヤンカゼだ。隼人(はやと)は南の鹿児島を指す。南から吹き込んで来る。爽やかだ。ミンミン蝉も鳴き出した。
*
山の画家犬塚勉という無名画家のことを昨日の<NHK美術館>の番組が放送していた。魅せられた。東京奥多摩に<せせらぎ美術館>という美術館があってそこで彼の絵の展覧会が合っているという。行って見てきたいな。彼の絵は緻密だ。写真のように緻密だ。植物や石、岩を描いている。万物にいのちを見出していたらしい。40才にならないで、山の遭難で命を落としている。
浄化槽取り付け工事が始まった
投稿者:
ぼふう
投稿日:2009年 6月15日(月)21時01分4秒
月曜日。今日から浄化槽取り付け工事が始まった。まずその位置に立っている大きな樫の木を切ってもらうことから。樫の木のそばにはグミの木もある。紅葉の木もある。赤南天も白南天も栄えている。それから暮風の大好きな鹿の子ユリも群落を為している。鹿の子ユリはスコップで掘り上げておラッテ移し替えた。大きな木の木株はブルが力を発揮して片付けた。
からりと晴れて
投稿者:
ぼふう
投稿日:2009年 6月14日(日)09時56分7秒
日曜日。梅雨どきだというのに、からりと晴れている。どこにも行かない。玄関先にも出ない。
下着のまま、窓を開けて透かし百合の庭を眺めている。部屋に涼しい風も吹き込んできて爽やかだ。
おはよう
投稿者:
ぼふう
投稿日:2009年 6月 9日(火)06時08分48秒
おはよう。
おはようを言う人がいるのはきっと幸せなこと。
おはようを聞く。
こころの耳でおはようを聞くのはきっと幸せなこと。
誰に向かってのおはよう? 誰からのおはよう?
おはよう。日の隈山のズクから夜中におはよう。
おはよう。日の隈山のズクにおはよう、早朝5時のおはよう。
おはよう。ズクは人ではないけれど、おはよう。
おはようを言う人がいるのはきっと幸せなこと。
どこかでおはようを聞いていてくれる人がいるのはきっと幸せなこと。
おはよう。
ユリ屋敷
投稿者:
ぼふう
投稿日:2009年 6月 7日(日)16時09分57秒
二話にユリが咲き出した。いまは透かし百合。色とりどりに咲いている。鹿の子ユリも蕾を作った。もうすぐに鹿の子斑(まだら)の可愛い花を着けるだろう。楽しみだ。オニユリは茎を伸ばすことに専念している。7月を待って咲き出すに違いない。我が家はさしずめユリ屋敷だ。
さみしさを揺らす
投稿者:
ぼふう
投稿日:2009年 5月29日(金)20時48分9秒
さみしい。
いつになったら、さみしくなんかなくなるのだろう?
長いこと生きてきたんだから、たいがいでそこを乗り越えていいはずなんだ。いいはずなんだが、あいかわらずそこにいる。立ちつくしている。
こんなはずじゃなかったのに。こんなはずじゃなかったのに。
もういまの僕の年齢の頃になっていれば、予定では、とっくにその風の岩場を超して春の花園にでて、僕は安らいでいたはずだったんだ。岩場は風がうなるばかり。僕はまだごつごつとした感情の岩場にしかいないのだ。
さみしい。誰かいないか。暮風のさみしさを癒すことのできる人はいないか。
ってったって、いるわけがない。一人を一人であやす。感情を揺りかごに寝せて、理性が揺らす。
山巓の岩場にいるたましい その1
投稿者:
ぼふう
投稿日:2009年 5月26日(火)08時36分11秒
たましいはもうここに何千年何万年も座っているのに、見つけて声をかけてくれる人はなかなか現れない。
*
で、暮風が声をかけることにした。見晴らしのいい山巓の岩場の上にそのたましいは座っている。あたりの新緑に朝日があたっていてそこら中がきらきらしている。新緑の若葉なのかたましいなのか区別がつきにくいが、暮風の眼識が被写体をとらえる。
*
「やあ」
*
「やあ」
*
はじめはぎこちない。挨拶も短い。堅い。斜め斜めに飛び交ってしまって、うまくキャッチできない。
*
「隣に座っていい?」
恐る恐る近寄ってみる。彼女はちょっとまだ当惑気味に見える。千年万年ぶりで声をかけてもらうんだから、慣れるのに時間がかかるってのも合点できる。腕が白くて滑らかだ。たましいの彼女は朴(ほう)の匂いがする。
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