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最後のたった一つの善に至るために

 投稿者:コブヨブ  投稿日:2013年 8月24日(土)10時32分7秒
  一つの答を引き出すためには100の計算が要る。無数といっていいのかもしれぬ。



一つの結果を導き出すためには100の原因が要る。無数といってもいいのかもしれぬ。



欲しいのはたった一つ。最後の最後のたった一つ。



ではそれまでの経過途上にある無数の因子・ファクターに価値はないのか。



ある。



あるけれども、最後の結論が引き出されたら、これらはことごとく雲散霧消する。



なかったことになってしまう。



この潔さは敬服に値する。



わたしの最後に残るたった一つの答とはなんなんだろう?



最初の第一歩とは似ても似つかぬ結論に到達しているかもしれぬ。真反対に到達しているかもしれぬ。



第一歩が悪で、それからの100歩も悪で、その先の1000歩も悪で、その後の10000歩もずっとずっと悪で、悪を100000歩歩かねば、最後のたった一つの善に辿り着けぬ。



最後のたった一つの善。それは死である。それは生きているこの座標軸を新しいおいのちさまにお譲りすることであるかもしれぬ。
 
 

想念を源流とす

 投稿者:コブヨブ  投稿日:2013年 6月 6日(木)20時48分47秒
  元正しければ末正し。元乱れれば末乱る。肝心は元なり、源なり。ステート地点なり。

この元は、わたしの想念である。末はわたしの受くるところの顛末なり。

あいなかに介在したるはわが口より発するところの言葉なり。

想念と言葉によってわれはあるいは涅槃にをり、あるいはまた甚だしく地獄に這い回れり。

肝要とすべきはわが想念なり。

不安を想念せず。安心安寧を想念すれば、川の流れ海に入るとも水は穏やかなり。
 

動揺せず

 投稿者:コブヨブ  投稿日:2013年 6月 6日(木)20時40分53秒
  じたばたせず。動揺せず。

己の敵を外に定めたるは虚偽なりき。己の敵は己のこころの為すところなり。
 

姦淫をする目

 投稿者:暁耀  投稿日:2013年 2月24日(日)17時22分32秒
  テレビで、女優さんやモデルさんが出てきます。ああ、美しいなあ、華やかだなあと思います。その女性的な魅力に嘆息します。そうすると、一生涯そういう人とまったく無縁で暮らしている自分がみすぼらしく思えてしまいます。

聖書にはもしあなたの目が姦淫をするならその目をえぐり取って捨てなさいというようないささか強すぎる戒めが書いてあります。街中に出ていると通り過ぎていく人にもそれを感じることがあります。そわそわします。美しいと思って女性を見ていることが姦淫なら、わたしはしょっちゅう姦淫をしています。欲情をするこころがあれば、これもえぐり取って捨てるべきでしょうが、それはできません。こころは一つしかないからです。
 

髭回復の兆しかな?

 投稿者:暁耀  投稿日:2013年 2月18日(月)21時21分6秒
  はて?

ややややや?

脱毛症患者のはずなのにな。

顎に髭が生えてきている。

ごぞごぞする。

指に触るとたしかに髭だ。

そんなに力強くはないけれど、触るとごぞごぞが反発する。

やや?

ぬぬ?

髭殿、髪の毛殿のお帰りなのかな?

じゃ、凱旋門にようこその旗を立てて、おかえりなさいの祝宴を開かなくちゃね。

 

読経する快感

 投稿者:暁耀  投稿日:2013年 2月17日(日)17時39分52秒
  読経が快感を伴うようになってきた。

妙法蓮華経観世音菩薩品(世に言う観音経)を書き下し文で読経する。もう幾百回と同じ経典を繰り返して読経しているから、水が流れるように文字が唇からさらさらりと流れていく。ここも快感かもしれない。

劇中の登場人物と一体になる一体感、なんといってもこの快感が最上最高だろう。(快感だなんていうのは、俗っぽいかな?)

これが経を読む読み手にしだいしだいに加わってくる。物語の中の人物(救済する仏さま、観世音菩薩の救済対象)に加わってそこで安堵する。

舞台に登場する主なキャラクターは、観音菩薩、無尽意菩薩、仏陀(=お釈迦様)、持地菩薩、そしてお説法の場を取り囲んでいる84000人の聴衆。

無尽意菩薩が仏さまに観世音菩薩のことについて代表して問いを発する。仏さまがお答えになるというドラマ形式をとっている。途中では、仏に褒められた観世音菩薩その人も舞台に上がって、仏と多宝仏に、宝珠をたてまつる。仏さまは最後までひたすらに観世音菩薩の功徳(われわれを救う救済力の偉大さ)を懇切丁寧に述べられていく。

    *

ゆっくり読み終わるのに15分ほどかかる。その間、仏の世界のドラマに引き込まれている。引き込まれている間は、仏の世界を呼吸することになる。これが清々しい。読経は仏陀その人を感じさせてくれるという点で不思議な魅力を持っている。
 

飯田高原に

 投稿者:コブヨブ  投稿日:2013年 2月11日(月)12時40分2秒
  飯田高原にいる。四周はずっと高い峰峰が続いている。平たい盆地になっている。

昨夜は黒川温泉に泊まった。家族三人で。

それから今日は産山むらへ回る。御湯船温泉の湯は緑青色をしていた。

山に人格がある。それぞれに味わいがある。山は人格者だ。眺め飽きない。

よく晴れている。ゆっくりしている。魂が喜んでいるわい。わいわい喜んでいるわい。

昼は飯田高原ロッジでうどんを食べた。おいしかった。
 

気が合う 気を合わせる

 投稿者:暁耀  投稿日:2013年 1月14日(月)10時18分16秒
  わたしと気を合わせてくれるのは? 誰? 極々限られる。なにしろ当人が気難しい。というよりか乱調。もっと有り体に言えばわがまま。いい加減。不安定高気圧低気圧。

気を合わせると2は1になれる。つまり繋がることができる。繋がって合体する。合体して調和する。調和して安穏を得る。安穏は涅槃だ。

では、個体の1では、目的地点の涅槃寂静には行き着けないのか? 行き着くことはできる。どうやって? 一人山中に隠棲して修行をしついには悟道をしなければならない。ここまで来るのには、なにしろ時間がやたらかかってしまう。

で、手っ取り早きのは仲良しになるという方法だ。これがずっと普遍的。気を合わせていると仲良しが実現する。気が合うフィールドができる。このフィールドに居れば、癇癪が起こらない。なにごともすんなりと臓腑に落ちていくからだ。遮るものが障壁をつくることがない。はいはいはい、と受けてそして得心がいく。これは実にカンファタブルだ。

では、そうすればいいではないか? その気の合うフィールドに入り込めばいいではないか? 半径1キロメーターくらいの巨大フィールドなら、きみを拒むんだりはしないんだろう?

要はこちら側にある。開け胡麻オープンセサミの通行証が必要だ。そこには、「わたしはすべてに従います」という約束事が記されている。誓いの1は、「わたしはここでは異を唱えません」近いの2は、「わたしはこころからこのフィールドの楽しみを楽しみます」誓いの3、「わたしはわたしを主張しません」誓いの4、「わたしは憎しみ、妬み、怒り、非難、悪口を捨てきってしまいます」誓いの5となるとこうだ、「わたしは褒めてもらうたびに相手を褒める気持ちを自動的に起こします」。

ううん、これだけの条件が付いていれば、気難しい僕は、これはアウトだなあ。

要するに、「わたしを殺せ」といっているんだけど、わたし至上主義が、「わたし」なんか殺せるものではない。殺せないならせめて忘れろ、とアドバイスしてくれるが、一戸建ての住居の戸主は、一戸建ての権利を放棄するわけにはいかない。

早い話が、明日から老人ホームにはいってみんなと仲良くしなさい、というようなものではないか。

などと、ちょこざいな反論を唱える始末。これでは和は生まれ得ない。この世での人の和が実現できない者が、では世を越えて、仏の国へ往ってそこに生まれて、仏国土の住民たちとなら、仲良く協調することができるだろうか?

できまい。

「もう一度練習をし直してからどうぞ」と追い返されてしまうそうだね。和の練習。仲良くする練習。癇癪を起こさない練習。気を合わせる練習。異を唱えない練習。他を誹らない練習。憎しみ妬み怒り嫉(そね)みを起こさないで暮らす練習。全体の楽しみに従ってわたしを楽しむ練習。

これができれば自己完成だ。ここができればわざわざ世を越えて往かなくともいいことになる。ここで仏陀の完成だ。わたしが仏陀になってこの国を仏国土にすることが可能になる。

ここまで考えてもうおしまいにしよう。

わたしはわがまま者。強烈ながりがり亡者。お山の大将。従うのではなくて従えるのが好き。我の利益が第一。我を良しとしてくれる者でなくれば付き合えない。

端から、調和世界の対極にいる。
 

孫のくうちゃん

 投稿者:暁耀  投稿日:2013年 1月12日(土)20時06分32秒
  孫のくうちゃんは、電話をかけてくるとすぐ、「ね、じったん、しりとり遊びをしようよ」と言い出す。くうちゃんは5才。しりとりがなかなか終わらない。「今度はじったんだよ。早く早く」と急き込む。電話の笑い声が甲高い。遊んでやるといつもご機嫌だ。機嫌がいいのはいいのだが、こっちはいい加減しりとり遊びに飽きが来ている。だよね、この高齢が5才の溌剌にお付き合いをするのは骨が折れることなんだよ。  

待ってた

 投稿者:暁耀  投稿日:2012年12月24日(月)10時37分12秒
  待ってた
待ってた
待ってた
あなたに会いたくて

待ちきれなくて
マの字とッの字と
テの字とタの字が
紙切れになって
天空へ昇っていく

待ってた
待ってた
待ってた

でももうこれ以上
待てなくなって
ゆうぐれ道を
帰って行くしかなくなった
 

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