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無一物中無尽蔵。(むいちぶつ ちゅう むじんぞう)
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仏教は無所有無所得の哲学をひっさげています。
ヒトはなあんにも所有していない、というのです。
我が物にしたみたいに思っているけどそれは目の錯覚心の迷妄、無所得のまんまです。
裸で生まれてきたのに所得所有があるはずがありません。
いつも裸の無一物です。一物も身に帯びてはいません。帯びることなどできないのです。
それはなぜか?
無尽蔵の世界に生まれてきているからです。宝の山に生まれてきているからです。
無尽蔵というのは、「あるわ、あるわ、あるあるあるある!」という叫びです。発見です。
なんにもなくてもどっさりある。使い切れないほどたくさんある。
どんどん使っても使ってもまた尽きない。蔵の中にはどっさりどっさり宝が隠されて溢れている。
さあ、どうぞ、お好きなようにお好きなだけ使ってください! と宝が要求をしているのだが、無欲な人間は、まるで使い切れない。
せいぜい使ったと思っているのは我が身のまわりのほんの小さな小銭くらい。
大欲になれないままで死んでいく。
仏教はどうせなら大きな欲を持って生きよと教えている。
無尽蔵の宝?
それはどこにある?
って、言いたいよねえ。なんなんだろう、それは?
それは形になっている物? なっていない物?
すくなくとも「わたしのもの」と名札を書いている物くらいではなさそうだよね。
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