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今日はかっての同僚だった人の葬儀に参列した。長くお世話になったので、遺影の前で小さくお礼を述べた。
読経をしていたお坊さん(曹洞宗の)が、読経の途中で「西方浄土はこころの内にある」と述べたところが耳に残った。
死は肉体というかたちの喪失である。形を持たないこころは西方浄土に帰って行くが、そこは西方十万億土の彼方である。
十万億土の西方は、しかし、こころの内側にあるという。空間が、だから、なくなっている。空間は、形を持つ物体にはあるように見えても、形を持たないこころには無用なのだ、きっと。
時間も同じである。物体には時間が横たわっているように感じられるが、物体を離れたときには、時間は無用となる。
あってもなくてもどちらだっていいことになる。
空間は一カ所の中に無限に広がっているし、時間もまた1定点の真ん中に無限に凝縮されて揺らいでいる。
死もまたしかりだ。死が生の対象点に位置しているのではなく、包容しているのだ。死が生を包容し、生が死を包容しているのだ。
生まれながらに死に、死にながらに生まれていて、死生は同時性なのだ。
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