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明日は村祭りです

 投稿者:ぼふう  投稿日:2007年 9月30日(日)00時27分26秒
  <!ーーあ(MOJIBAKE TAISAKU)−−>

 明日は村祭りです。村の人たちが楽しみにしている年に一回のお祭りです。祭りは大変意味があります。とてもいいことだと思います。でも、ぼくは苦手です。一日中が疲れます。

    *

 公民館とその周囲の広場が会場です。住んでいるところが城原(じょうばる)というところですので、城原祭と名付けてあります。読み変えて「きばるさい」としてあります。「きばる」は方言で「がんばる」の意味があります。お年寄りが大切にされて会場の真ん中に陣取りします。こどもたちも総出です。村人はこどもたちの顔を覚えます。各種スポーツ大会、カラオケ大会、隠し芸大会があります。いろいろ楽しいゲームもしてにぎわいます。綿菓子屋、焼きそば屋、アイスクリーム屋、金魚屋、水風船のようよう屋、焼き肉屋、おにぎり屋などが立ち並びます。みんな無料です。どれだけ食べても無料です。男性陣が店番をします。婦人会の方が接待をします。

     *

 でも、ぼくは混雑した人の中に入るのが好きではありませんから、お祭りに出るのは苦手です。あんまり楽しめません。明日は雨になるかもしれません。雨になっても公民館の中で続行されます。役員になっておられる方が大変なご苦労をされます。

     *

 もうすぐしたら、池をほしあげて魚を捕り、それを料理して「おひまち」があります。これも家族総出です。村の人がこうして親密になります。わいわいわいわいで賑わってみなが仲良しになります。でも、ぼくはこれも苦手です。どちらかというと家に引きこもっている方が性に合っています。周囲の人からすればぼくはまさしく「あいつは嫌な男だ」です。
 

横着者不届き者

 投稿者:ぼふう  投稿日:2007年 9月26日(水)12時46分3秒
  <!ーーあ(MOJIBAKE TAISAKU)−−>

「恩徳讃」は親鸞聖人の和讃の一つである。

如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし

師主知識の恩徳も
骨を砕きても謝すべし

      *

如来さまの大悲のおこころをいただいて生きているわたしがいる

このご恩には
たとい身を粉にすることになっても
報いねばならない

師とする方や友とする者の
おちからをいただいて生きているわたしがいる
このご恩には
たとえ骨が砕けるようなことがおこったとしても
なお感謝の心を向けねばならない

      *

そこで、ふっと反省がおこります。それはわたしはただの一度も
身を粉にしたことがないということです。
骨を砕いたということがないことです。

ちっとも報恩も感謝もしてはいないわたしが反省させられます。

       *

 風邪を引いただけで恨み悲しみのこころにせかれます。お腹をこわしただけでもう腹が立って怒鳴ったり意気消沈したりしています。怪我をするとひいひい泣いています。まるで覚悟ができていないわたしがいます。如来の大悲をまるで受けているのに、受けていない顔をするわたしがいます。報恩も感謝もしていない横着者のわたしがいます。

      *

 「横着」

ほとけさまに
あっていながら
あっていないという横着

ほとけさまに
まもられていながら
まもられていないという横着

ほとけさまに
すくわれていながら
すくわれていないという横着

とことん横着者だから
ほとけさまが
いてくださっているのだ
まもっていてくださっているのだ
すくっていてくださっているのだ

死ぬまでをずっと
横着をする不届き
不届きを風にわびる
ススキにわびる
 

忍終不悔(にんじゅうふけ)

 投稿者:ぼふう  投稿日:2007年 9月24日(月)17時53分43秒
  <!ーーあ(MOJIBAKE TAISAKU)−−>

仮令身止  (けりょうしんし)     道を求めてたとい身は
諸苦毒中  (しょくどくちゅう)    苦難の毒に沈むとも
我行精進  (がぎょうしょうじん)   願い果たさんその日まで
忍終不悔  (にんじゅうふけ)     忍びはげみて 悔いざらん

        *

 これは「讃仏偈」の最後の聯である。大無量寿経の経典の中にある。阿弥陀仏がまだ法蔵菩薩であったころに、師であった世自在王仏の気高いお姿を仰いでその徳を讃えられ、ご自分の信と願いをお述べになられた。これを読むと身が引き締まってくるのを覚える。

        *

わたしがくるしみを受けるということは
わたしの仏道の精進の姿相である

わたしが仏道を精進しているということであるなら
わたしはくるしみを拝受しなければならない

わたしはくるしみを甘受しなければならない
わたしはくるしみをおしいただかねばならない

それは堪え忍ぶことではない
悔いることではない

仏道を歩んでいくためには
くるしみを担わねばならないとするならば
くるしみの中に沈んでいいはずである

それが仏のお導きであるならば
くるしみはむしろ歓喜であっていいはずである

仏道を歩みたい
仏道を歩みたい
仏道を歩みたい
わたしは仏のお示しになったこの道を歩みたい
 

月影

 投稿者:ぼふう  投稿日:2007年 9月18日(火)12時24分59秒
  <!ーーあ(MOJIBAKE TAISAKU)−−>

  「月影」

ぼくが窮地に落ちて
意気消沈していると
それがわかったいたかのように
ふらりときみが姿を見せて
どうしたのだ、と言う
ぼくは、なんでもないさ、と答え
しばらく談笑しているうちに
元気を取り戻す
そういうことがたびたびあった

草に虫が鳴いて
月影の中を
きみは帰って行く

もうすっかり見えなくなった
きみの背中に
ぼくは何度か手をふった

友がここに居合わせてくれただけで
ぼくのこころは
あたたまっていたのだ

************************

という詩を平成10年9月に書いている。
それを障子紙に墨で書き留めて、部屋の欄間の透かし彫りに貼り付けている。
お座敷からはそれは文字は見えないが、寝床からはそれが読める。

幾つも幾つも人生の危機といったところへ迷い込んできて
そのたびに友から救われている。
友は、救い出すなんて気持ちはないが、結果的にはそうなってきた。
読み直してみてもそうだ。それからも同種のことがたびたびあった。
不思議な気持ちがする。
 

仏さまのクレヨン画

 投稿者:ぼふう  投稿日:2007年 9月14日(金)23時11分19秒
  <!ーーあ(MOJIBAKE TAISAKU)−−>

ぼくは、仏さまの絵を描きます。拙いクレヨン画です。こどもじみた絵です。

     *

人がこれを見たら、仏さまだとわからないかもしれません。幼いこどもの絵と思うかもしれません。

仏さまだというシンボルに、第三の目を描くことにしています。額の真ん中に第三の目はあります。
といっても、ただ丸い小さな円を描くだけのことですが。

     *

描いた絵にわたしが仏さまを感じます。感じですから、ただの主観に過ぎませんが。
そしてその仏さまに向かい合います。すると気分がいやされます。

     *

もうどれだけ描いたか分からないくらいです。でも、ほとんど手元には残っていません。
欲しいと言われる方にさしあげました。かわいいから飾っています、と仰ってくださる方も
おられます。うれしいです。

     *

人間が仏さまを描くことなどできないことだと思います。だから、仏さまのお力を借りていなければなりません。
仏さまが導いていてくださるんだなあと感じることがあります。力を差し向けていてくださっているのだなあと思って
熱くなります。熱くなってから絵を描き出します。

このごろもうずっと描いていません。仏さまの絵はもう描けないかもしれません。
 

島原の娘

 投稿者:ぼふう  投稿日:2007年 9月 9日(日)23時04分38秒
  <!ーーあ(MOJIBAKE TAISAKU)−−>

 「島原の娘」

島原の娘 なじょして
ななにち泣いた

泣いて返してあげたのが
林の笹の風だから
月夜のきんの草だから

娘 ななにち なな夜を 泣いた

赤いほおべに 昼のべに
白い麻足袋 橡の足袋

島原の娘 なじょして
なじょして 泣いた

髪の飾りのギヤマンは
透けてみどりが青になる

異国オランダ 異人さま
異国のさまを話される
 

秋が来ている

 投稿者:ぼふう  投稿日:2007年 9月 8日(土)21時13分48秒
  <!ーーあ(MOJIBAKE TAISAKU)−−>

@ さみしいがもしもおいらになかったらそうさね風に芒は揺れぬ    薬王華蔵

      *

 おいら薬王華蔵はしょっちゅうさみしい。先日、山に入ったら、山道には
芒がはやくも白い穂を出していた。

 芒が風に揺れるから、にんげんが寂しがるのか、にんげんが寂しがるから
芒が気を利かして揺れて慰めてくれるのか。それはわからない。秋が来ている。
 

おまへも風に乗りに来ないか

 投稿者:ぼふう  投稿日:2007年 9月 6日(木)12時53分10秒
  <!ーーあ(MOJIBAKE TAISAKU)−−>

@ 秋茜われの無聊にささやけりおまへも風に乗りに来ないか    釈 天愚

 2007/9/6付け佐賀新聞読者の文芸、短歌部門、園田節子選、一席。

      *

 秋茜は赤トンボだ。<無聊(ぶりょう)>は退屈なさま。
<心配事があって楽しくないこと>と広辞苑にある。
赤とんぼは風に乗って遊んでいる。
浮かない顔をしていると、
「どうだ、空の上まで風に乗って来ないか」とトンボに誘われたというのである。
老子の歌いそうな歌である。老子とトンボの丁々発止を想起させて愉快だ。
生きている間の人間は重たい。肉体も精神も重たい。
赤トンボになって軽々と空を飛べるのは、それらが軽くなったときである。

赤トンボは体長約4センチメートルほど。初夏に羽化する。
夏の間は橙と黄色をまぜた色をしている。
幼少年期を山地へ移動して過ごし、秋には群れをなして平地に降りてくる。
池などで産卵する。産卵を終えた雌雄は腹部が赤く色づいて、赤トンボになる。
今朝から爽やかな短歌を読ませてもらってこちらも爽快な気分になった。仙人風の釈さんは、さて、いよいよアキアカネになるときが来ているようだ。
 

善導大師立像

 投稿者:ぼふう  投稿日:2007年 9月 5日(水)10時55分10秒
  <!ーーあ(MOJIBAKE TAISAKU)−−>

仏像にこころがひかれる。年齢を重ねるごとになおさらに。

    *

浄土真宗七高僧の一人、善導大師立像にこころがひかれる。この像は新潟県上越市の善導寺にある。

木造。鎌倉時代の作だ。一見して童顔。おやさしい。800年を経過しても実に瑞々しい。

剃髪された頭、瞑目された目、念仏を唱えておられる口元、胸の前でしっかりと合わせられた両手、

体にはゆったりした衣をまとっておられる。

善導大師(613〜681)は、中国・唐の時代に活躍され浄土教を大成された。

日本の法然上人、親鸞聖人がともに師と仰がれたお方である。

この善導大師立像を写真で見る機会があった。見るたびに慄然として思わず我が身をただしたくなる。

叶うことなら、はるばる新潟まで行ってこの目でじかに仰いでみたいものである。

しばらくお像のまえに座ってお手を合わせていたい。
 

愉快な日本語

 投稿者:ぼふう  投稿日:2007年 9月 2日(日)20時21分4秒
  <!ーーあ(MOJIBAKE TAISAKU)−−>

 「ふんぎり」

ああ、おかしかった!

「ふんぎりがつかない」の<ふんぎり>は
<糞切り>って書くんだよとぼくが言う
すると優さんがそれを信じてしまった

汚い言葉だけど真実みがこもっているよと
ぼくがけしかけると
「ほんとだね」だなんて返してくる

とうとうふきだしちゃった

日本語はむずかしい

正確には
「踏ん切りがつかない」と書くのだ

いまごろ電子辞書で確認をしていて
怒っているかもしれない
怒りもしばらくであとは
騙されたといって
大笑いをしているかもしれない 優さんも

頭のいい優さんも
信じてしまうくらいだからな
こりゃあ 愉快な日本語だ
 

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