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温水プールに行ってきました

 投稿者:山鳩 暮風  投稿日:2007年 8月 1日(水)06時46分18秒
   公営の温水プールに行ってきた。家内と娘と三人で。障害者は入場料が4分の1になる。介護者もだ。障害者の利用する脱衣場は、多目的の名が冠せられている。ここには広々としたシャワー室とトイレ室とが設置されている。実に清潔だ。ロッカー、長椅子、車椅子、遠心分離水落とし機が置かれている。あんまり贅沢で、なんだか申し訳がない気持ちになる。

       *

 25m温水プールは広い。水中歩行用に2レーン、水泳用に6レーンほどがある。別にゆるやかなスロープと手摺がついたレーン、階段と手摺をつけたレーンとがある。片隅には37度cのお風呂みたいな狭いプールもある。幼児用の浅いプールと、水中体操などに使われるやや浅めのプールも併設されている。ロカールームの奥には、ほんとうの風呂もあるから、ここで、運動器具がならぶトレイニングルームで、いい汗をかいた人たちが利用できる。至れり尽くせりだ。

       *

 僕はもっぱら水中ウオーキングをする。ここではやや肥満体の老人たちが電車ごっこのようにならんで歩く。僕もその一人だ。お腹が出ている。昨日は25mX17回往復で850m歩いた計算だ。途中の休みで水中ヨガをした。これは指導員の遠藤さんに教えていただいた。赤い帽子には白抜きで「運動指導センター」と記してある。この日は車椅子の方も利用されていた。水中では体は浮力がついて軽くなる。腰に負担がかからない。杖を離しても進むことができる。

       *

 この後は、別のブログ「コラムおでいげ」に続けます。アドレスは、

  http://www.muchan.net/diary/odeige  です。これは峰野裕二郎先生のブログの軒下にありますから、峰野家で検索しても辿り着くことができます。
 

輪廻

 投稿者:にゃん  投稿日:2007年 7月31日(火)17時26分17秒
   ふうん、これは私の苦手とする分野です。
クリスチャン(現在は全然熱心でない)のにゃんには、どう考えていいのか分からない。聖書の中でこれははっきりしないからです。聖書のルカによる福音書9称8節に、(イエスの事を)「だれか昔の預言者が生き返ったのだ」と言う人もいたからである。と言う文があります。これはイエスさまやお弟子さんが言っているのではなく、無責任な世間でそう噂している人たちがいたと言う意味です。ということは、昔のユダヤ人の中に、何度も生きる人があると考える人がいたという事かな?「○○の再来」ということかな?

 個人的には、私はもう一度同じ自分に生まれ変わりたいです。だれも私の希望など尋ねてはおらん?はい、そうでしょうが・・もう一回やらせてもらえたら、もう少し上手く生きれるだろうに・・

 修行ですね、生きるのって大変だから、生きている事が修行だと思っています。死ぬのも、その前の病気も恐いけど、それがなくて死ねるなら死んだ方がましと思っていたから。

 虫とか花とかは、良く生きようとしているだろうか?良い子孫を残す為の努力はしているように見える、しかしそれは遺伝子に組み込まれた性質によるもので、そういう考えは無いのではないだろうか。しかし、命の危険を避ける為には脳で考えているらしい。団子虫(だったと思う)の行動研究でそういう仮説を立てたらしい。湿った所が好きなのに、水にはまると死んじゃうのですって。避けるのが難しいように水溜りを作っても、水を避けると。考えているらしいと。
 

一生で済むはずがない

 投稿者:山鳩 暮風  投稿日:2007年 7月31日(火)16時01分56秒
   <一度きりの人生>というが、どうもこれにはクエッスチョンマークがつきそうだ。ほんとうに一度きりなのか? これから先にもはや生まれてくることはないのか? この一度きりでやるべきことはやりおえてしまったのか? 自分を振り返ってみて、これくらいの中途半端で完了と言うことはよもあるまいと思うのである。

      *

 仏教は因果応報を説いている。現在の自分を結果としてみると、それ以前に結果をもたらした原因があると説くのだ。そしてその結果はまた次の世の原因となる。だから、たった一生の中に永遠の結果などは得られないのだ。いつも道の中途なのである。いまの自分の行為(業=カルマ)を背負って、次へ進んでいく。進んだところでまた歩き始める。原因はそこで熟して結果に至り着く。他者に対して行った行為が自分に返ってくる。相手を傷めたことは自分が傷むことで結果を受け持つ。相手を喜ばせたことはそのまま自分を喜ばせることになって照り返す。

       *

 今の自分が無からいきなり出現したとは考えられない。前段階がたくさんたくさん用意され準備されてはじめていまの自分が出現したとしか考えられない。たくさんの善意が向けられてそれが山と積もってやっと現在の自分の端緒が生まれたのではなかったか。わたし自身の為した悪業も積もったはずであるが、多くの人からそれに千倍万倍するほどの善業も向けられたはずである。でなければ、いまの自分がここで成立しているはずはない。

       *

 永遠の生命というのを法華経は説いている。これは法華経ばかりではない。いのちは立ち止まらずに、永遠に進化向上してゆくということだ。完成へ向かっていのちの旅は続く。肉体を持ったこのいのちももちろんいのちである。だが、いのちは肉体を持ったときだけに発動するのではない。個体のときだけがいのちではない。個体は全体へと統合する、合一する。全体に合体して大きな安寧に包まれる。慰撫を受ける。激励を受ける。次へ向かうエネルギーを充填させられる。こうしてふたたび六道を輪廻する。そのうちに人間界へやってきて修行をすることにもなる。

      *

 わたしなぞはまったくもはやその<修行>を放棄してしまっている。これは恥ずかしいことだ。ぐうたらに明け暮れている。もはや進歩向上とは縁が切れている。こんな状態で済むはずがない。これだけの地球のエネルギーを消費しておいて、このまんまで済むはずがない。これだけの社会の愛情をたらふく受けてきて、受けっぱなしと言うことがあるはずはない。再挑戦がかならず控えているはずだ。「せっかく人間界に生まれてきたが、きみは人間界の修行をしないで一生を終わってしまった。人間界には適していないと言うことが判明したから、次は地獄界の鬼として修行をしてもらうことになる」閻魔大王様はそう言うに決まっている。地獄界の鬼ではなくて、餓鬼道の鬼かもしれない。修羅界の鬼かもしれねい。畜生界の畜生かもしれない。ただの石かもしれない。砂かもしれない。
 

相変わらずのあんぽんたん

 投稿者:山鳩 暮風  投稿日:2007年 7月30日(月)18時46分24秒
   今日も学校ボランテイアの日。だった。だったことを忘れていて、慌てふためいた。10分で朝ご飯を飲み込み、10分で着替え、歯を磨き、戸締まりをして、出勤した。間に合った! 相変わらずのあんぽんたん、だ。8時半から11時半まで授業の補助役をした。退屈だった。

       *

 帰宅して横になった。まだ腰痛に悩まされている。
 

はあい、いつかですね〜

 投稿者:にゃん  投稿日:2007年 7月28日(土)19時15分57秒
   その詩、もっと工夫しないといけないなあ、どうしたらいいのかなあ?と考えていました。アイデアが浮かびました。「蔓細工と音楽って関係あるなあ」と思っていたんです。それが少し分かったような気がします。リズムです。蔓の師匠(注、私は正式には弟子ではない)も製作中は音楽をかけるのですって、私もです。偶然では無い。数日前、ある音楽を聴きながら蔓の作業を思い浮かべていたら、涙が出たのです。悲しかった訳ではない。悲しい曲でも無い。鬱人間だけどめったに泣かない私がです。多分、感情が珍しく開放されたのだと思います。

 蔓細工をする時ほとんどの人は、夢中で無言です。でも途中言葉を交わすと、非常に気分が良くなっているのが感じられます。仕上げた時の満足で幸福そうな様子、一様にいい顔をしています。これは何なのか?考えられるのは、植物を触ると言う事、身体を動かす事、の二つ。作業は指先の作業ばかりではありません。肩から全部使うところもあります。動きにリズムが生まれます。そういうことが総合的に作用して気分が良くなるのだろうと思います。

 ですから、蔓細工の曲(詩)は、それを表現しなければいけないですね。詩だけで完成ではなく、曲にする時はそういう部分を付け加えようと思っていました。(詩は全然自信ないから何処にも出すツモリはありません。)でも、詩をそういう詩にするように考えてみようと思っているところです。読んでいただけるようなものになるかどうか分かりませんが・・
 

久しぶりにパソコンを開きました

 投稿者:山鳩 暮風  投稿日:2007年 7月27日(金)16時00分13秒
   やっとここに座りました。長くは座っていられません。まだ腰痛が痛みます。

 ふうさん、こんにちは。中学校夏休みボランテイア授業補助は、二回目を終了しました。
生徒たちの礼儀正しさ純朴さに感動しまくりです。車椅子に座ってですから、黒板などは使えません。8時30分から11時30分までは長丁場。もちろん間に休憩はあります。生徒の顔が見られるなんてほんとに久しぶりです。僕はやっぱり子供好きです。嬉しくってたまりません。

 にゃんさん、詩ができたんですね。新聞に投稿されるんですか? あとでこっそり読ませてね。実体験から生み出された詩は、説得力があるでしょう。葛の蔓で編んだ籠の展覧会を見せてもらいましたね、昨年は。今年は同じ銀行で、蓮の花の写真展。いろいろ活動をされますね。
 

詩を作ったけど

 投稿者:にゃん  投稿日:2007年 7月24日(火)13時25分29秒
   メロディーも付けられる詩を書いたのです。でも、誰にも理解されないだろうと思う詩。題は「篭を編む」と「編む」の二つ。多分蔓を編んだことの無い人には、面白くも無く、共感もできないだろうと思うのです。

 歌とか詩は、読んで(聴いて)イメージできないといけないでしょう。難解な詩でも何かのイメージを与えるはず。読者が経験した事がないのにイメージできる、そういうのは私には書けない。

 歌も写真も、まだまだ、下の方のフロアーにいる。でも、ここに居る事が重要、諦めて出ちゃったらお仕舞。

 山鳩さま写真展へのお言葉有難うございます。励まされます。
 

よかった(^^♪

 投稿者: ふう  投稿日:2007年 7月23日(月)21時29分39秒
  ボランティアに出かけられるまでに回復されてよかった〜♪

生徒さんたちも喜ばれるでしょう。
 

写真展の成功を祈ります

 投稿者:山鳩 暮風  投稿日:2007年 7月23日(月)16時52分50秒
   美しい蓮園の蓮の写真展は、見る者の目をいやしてくれるでしょう。実物の蓮もいいけど、こころをこめて撮った写真はまた別個な輝きを持つ。美しいものをクローズアップをして見せてもらうだけでも、大いに価値がある。立ち止まって見入る機械を提供するだけでも意味がある。まして、にゃんさんの腕前。見た人が、それを口に表現はできないとしてもこころに刻むことができるのだ。よかったね、にゃんさん。銀行の待合い場所を借りれて。行ってあげたいのだけど、いまはそこまでは出かけていけません。ご成功を祈ります。

      *

 11日間ずっと伏していました。もうそろそろいいようです。髭も伸び放題。でも、水曜日には地元の中学校へボランテイアにでかける予定です。中学三年生も補習授業のお手伝いです。授業をするわけではありません。先生の補助役です。分からない生徒の質問を受けます。
 

写真展

 投稿者:にゃん  投稿日:2007年 7月21日(土)10時14分20秒
   昨日、太極拳の最中に、携帯が鳴った。
銀行から、「写真展の飾り付けを4時過ぎにして」と。「あれ、来週じゃなかったっけ?」私の勘違い、23日からと言う事は、銀行はその前の金曜日になるわけだ。午後から準備をして間に合わせた。タイトルプレートが弱そうなので作り直そうかと思っていたのだけど、時間が無かった。

 「蓮の写真を」とリクエストだったので、「蓮園にて」として睡蓮も入れて10枚くらい飾った。蓮は綺麗な花だから、一応綺麗ではあるが、所詮素人写真、きれいなだけ。まあロビーが華やかになるだけで目的は果たしている。こんな所でないと私の写真なんぞ見てくれる人もないんだから。二週間の展示です。

 今日は、朝から洗濯して干しに出ようとしたら、お向かいのお家が改装工事が終わり見学会で、テント張ってメーカーの車がたくさん。「あれー、こりゃ干しにくい」家の中で乾かす事にしました。私の車は出せるかな?

 太極拳、来月は会場の都合が悪いらしい。代わりの場所を探すか、休みにするか話し合った。未だ皆知らない同士。本当は休みにしたい人が多かった。休みたいけど「一月休むと忘れますね。」と心配する。「皆で忘れりゃ恐くないですよ。」と言ったら、大うけ。一番近い公民館を当たって、不可能なら休みになる。
 

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