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盗むな。しかし、盗むなと言うことなかれ。

 投稿者:山鳩 暮風  投稿日:2007年 7月 5日(木)16時18分10秒
   盗むな。この戒は、まあ、わかる。でも、盗むなと言うな。これはわかりにくい。

       *

 相手の物を自分のものとしない。これは理解がいく。自分の物を自分の物としない。これはなんだか抵抗がある。

        *

 自分の物とは、しかし、はたして、どこまでを言うのだろうか? なにしろ、裸で生まれてきているのである。であれば、みんな借り物をしてるに過ぎないのではないか。厳密に、自己の所有物と宣言できる物がはたしてあるのだろうか? 動産、不動産は、登記すれば一応自己所有になっているが、これとて、取り決めに過ぎまい。あれもこれも自己所有に取り込んでしまって平気でいるが、そもそも地球は地球の物である。地球を分割して、思い思いに自己所有を宣言しているが、お預かりをさせてもらっていることを忘れてはならない。

       *

 盗るな、と人に言う。ということはこれは自己の所有物であってあなたの所有ではないと主張していることである。そのくせに、地球の空気も水も光もみんな盗っているのである。あれはもらっている、と弁解をするだろうが、あなたにあげますと許可をされたということは聞かない。資本主義の世の中だから、僕の言うことはまるで通用しない論理だが、だからといって、増長をしてもならない。裸で死んでいくのである。みんな返却して死んでいくのである。自己所有をしていなかった証ではないか、これは。

       *

 ジャンバルジャンは銀の燭台を盗んだのに、牧師さまは、盗んだとはされなかった。神様は等しくすべての人にこの世の物を提供されたのである。あなたは所有していい、あなたは使ってはならない、とは言われなかったはずである。

      *

 仏教の盗むな、の戒は警察の言う戒ではない。「盗む心をもってはならない」ということである。生かされているばかりの命であれば、人の物自分の物の自己所有を主張してはならない、ということである。お釈迦様は無所有を貫かれた。「盗むな!」と言われたら、われわれは水一滴飲めないのである。
 

大雨また大雨

 投稿者:山鳩 暮風  投稿日:2007年 7月 4日(水)09時03分30秒
   大雨である。どしゃぶりである。土砂が降ってくるように大粒の雨が激しく降ってくる。午前9時だというのに、空は夜のように暗い。今度は雷が騒ぎ出した。登校する小学生はびしょ濡れになっただろう。自転車通学をする中学生は深みに入ったりはしなかっただろうか。昨夜も夜中雨音を聞いた。豪雨だった。豪雨は災害をもたらす。災害にならないといいが。

       *

 僕は家の中に閉じこもってぐうたらをしていればそれですむことだが、働いている人はこうはいかない。雨の中でご苦労をされる。まことに相済まないことである。山の小鳥たちは木陰に避難をしただろうが、雨風だから、寒くなった羽根を震わせているだろう。
 

いつわりもなく

 投稿者:山鳩 暮風  投稿日:2007年 7月 3日(火)08時34分11秒
  @ 一点のいつわりもなく青田あり    山口誓子

 青田とは田植えが済んだあとの水田だろう。7月にはいると植えた早苗の色も青さを増す。日照りに耐えるだけの逞しさが生まれる。根株も太る。葉はそよそよと風を受けて、生育に専念する。もう水田の土の色、水の色は見えない。青よりほかに色の妨げの余地がない。一点の補色もなくてそのまま青田が続く。<いつわりもなく>と、作者は表現しているが、<いつわり>とは、<いつわり>の対極の<ただしさ>をも含むものだろう。<比較を絶した><一切の矛盾をも含めた><真っ青な><純一の>くらいに、僕は解釈をしてみた。色即是空だが、空即是色でもある。

      *

 俳句は自然の賛美である。と、僕は、勝手にそう思いこんでいる。俳句ばかりではなく、芸術全般がそうだ。多かれ少なかれ、そうだ。賛美に尽きると思っている、僕は。夏の風物の青田稲田を見ながら、賛美の心を起こす。起こされたこころは、これによってもう一度景観に寄り添ってみる。不思議な一体感を共有する。

      *

 昨日の豪雨は去って、今朝はおだやかな空が広がっている。朝顔の花が咲いた。鉢に3個ずつほど。なぜかしら、今年の夏の朝顔は大輪がない。
 

自然から遠ざかっていた

 投稿者:にゃん  投稿日:2007年 7月 2日(月)17時55分1秒
   朝起きた時は、雨音は聞こえなかった。朝食の前に何をしたか覚えていないけれど、パソコンの先生がこられる前にゴミ出しをしなければいけなかった。未だ出さないうちに雨が降り出した。長靴を履いて出しに行った。その後は雨のことも忘れてしまっていた。

雷雨注意報が出ていて、高校も休校だったとパソコンの先生から聞いた。

パソコンレッスンが終わり、先生が帰られてパソコンの続きの作業をしていたら、チャイムが鳴った。九電の工事の人で、家の引込み線が垂れ下がっているので工事すると。「わあ、パソコン終了するまで待ってください。」。雨は止んでいた。
 パソコン以外は支障は無いはずだけど、ついでに色々な電気器具の電源を切った。しばしの停電。家の中は真っ暗で新聞も読めない。音楽も無い。手持ち無沙汰だからお米を用意しようと思ったが、精米機が動かないので出来ない。お米は毎回家庭用精米機で精米して使う。「ああ、不意の停電に備えてお米は少しは精米しておかなければいけないな」と思った。
停電になると、電話も掛けられないんだ。携帯はあるけれど、充電せず長時間は使えない。
電力に慣れてしまって、電気の無い生活は辛い。

 しかし、山鳩さんは、雲の気持ちになったり、オケラや蟻や、モグラの事を考えておられる。自然保護協会の会員であるにゃんより、感覚的に自然と近い。
今日は私は最も自然と遠ざかっていた。
 

梅雨本番

 投稿者:山鳩 暮風  投稿日:2007年 7月 2日(月)12時08分50秒
   もうこらえきれないよ、って感じかな。雲になって空に浮かんでいられなくなって、傾いたところから一番に落下してくる雨。これだけの雨量だもの。曇って言うのは重たいのだろうな。トラック100000万台分くらいの雨が空に、じいいっっと我慢をしているんだものね。よくもまあ、それだけの重量トンが浮かんでいられるなあ。ぼくらの頭上では雨のドラマが演じられているってわけだ。

       *

 明け方の雷雨がひどかった。空でいくつもの大きなシンバルが鳴り響いた。太鼓もなった。空気が振動して、僕の肌をふるわせた。空の湖が決壊した。地上に降り注いだ雨が畑を川にしてしまった。芋畑の畝と畝との間にもダムができあがった。地中に浸透していく分量を遙かに超えていたので、雨水は我先に小川へ流れ込んでいく。小川はたちまち激流になった。浸透した雨水は浸透し続けていまは5mくらいに進んだだろうか。地下水までもう届いただろうか。地下の地下水はトンネルを作って流れていて、それが伏流水となって川下で地上にあふれ出る。川下は豊かな水田地帯を作ることになる。

       *

 畑のオケラが濁流で流されてしまったかもしれない。蟻などは緊急避難をすませただろうか。避難をする場所は木の上だろう。穴の中が水浸しになったモグラは窒息をしていないだろうか。チョウチョウは羽を休める大きな木の葉が見つかっただろうか。でもこれだけの風雨だったから、雨に濡れたら蝶の羽根はひとたまりもなかったことだろう。
 

楽しそう

 投稿者:にゃん  投稿日:2007年 7月 1日(日)18時30分43秒
  燕さんのおしゃべりの感じが良く出せるなあ!感心しちゃいます。
へっぽこ音楽家のにゃんは、早速これを音楽で表せないかと考える。
出来るかもしれないけど、相当な研究が必要、やって見たい気もする。「いつかやるかも」と印刷。今やっているのが済んでから。何時済むんだい?
 

ツバメさんがやってきた

 投稿者:山鳩 暮風  投稿日:2007年 7月 1日(日)07時15分28秒
   ツバメが、わたしのところへ飛び込んできて、あのねあのねシシフラコテクチュクチュクチャチュチュペッペタンタと鳴いてそれから、「じゃ、また、ごきげんよう!」と言い田圃のある方角へ飛び去っていきました。これからにゅるにゅるになった泥をついばんで、たぶん巣作りをするのでしょう。で、<あのねあのね>のあとが聞き取れなかったのです。

あのね あのね
シシフラコ
テクチュク
チュクチャ
チュチュ
ペッペタンタ
じゃ またね
ごきげんよう

ぼくを話の相手にえらんだツバメ
せっかくだったのに
わからないところが
ありました
ごめんなさいね

シシフラコ
テクチュク
チュクチャ
チュチュ
ペッペタンタ
ってなあに?
あんまりツバメが早口だから

でもきっとこうだった

あなたが好きだよ
好きだよ
すごおく好きだよ
わたしのことも
好きになってね

ツバメはこれから
水を張った田圃の泥を
口にくわえて
巣作りです
それから子育てにはいります

はあい
はあい
ツバメさん
わたしもあなたが大好きです
やさしいあなたが大好きです
よくぞお話にきてくださいました
ぼくを
話し相手に選んでくださいました
 

天女の匂い?

 投稿者:にゃん  投稿日:2007年 6月29日(金)13時58分55秒
   それは、蓮の匂いみたいな匂いかな?
蓮園に行って来ました。今年初めて。もう満開でした。

 白い蓮は清い香り。ピンクの蓮は優しい香り。黄色が入った蓮は甘い香り。
黄色とは、中南アメリカのキバナハスのことです。これが混じると甘くなります。
顔をくっつけてクンクン嗅いだら、蜂蜜のような甘い甘い香りでした。

 もちろん、写真撮りに行ったのです。
今年は、去年と趣を変えて、花の集団、幾つかの花の組み合わせを狙いました。
デジタルカメラに変えて初めての蓮です。色が綺麗です。
 

天女の匂い

 投稿者:山鳩 暮風  投稿日:2007年 6月28日(木)22時10分4秒
   天女がいるかどうか。天人も天女も天界の住人である。

 仏教には六道輪廻(りくどうりんね)の思想がある。六道とは輪廻する六つの世界の意味である。すなわち地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天界である。この六つの世界は、天界をも含めて迷界、すなわち迷う者の世界である。いずれも仏界ではない。解脱とはこの六道輪廻から脱出することである。今生での悪業善業によって、六つの世界に振り分けられてそこでまた修行が待っていることになる。

       *

 だから天界の住人、すなわち天人も天女もこの天界の修行如何によっては、ふたたび地獄道にも餓鬼道にも墜ちることもある。ということは・・・・。そうなのだ、地獄、餓鬼、畜生の三悪道からでも、修行の如何によっては天道にも生まれ変われるのである。これは人間道にも言えることである。今世の過ごし方で他の五つのどの世界にも輪廻するのである。

       *

 でも、今日はそういうことを言いたかったのではない。それは、こうだ。天女の匂いがする人がいる、ということだ。前世は天女だったと確信させる女性の存在である。僕はなんどかこういう女性に会ったことがあるのである。大学一年生の時に4年生のMさんのやさしさに強くそれを感じた。もちろん個人的な付き合いがあったわけではけっしてない。決してないが、やさしい天人の匂いが僕の意識の中に眠っている。
 

朝顔の花芽がつかない なあぜ?

 投稿者:山鳩 暮風  投稿日:2007年 6月28日(木)16時49分58秒
   今年はたくさんの朝顔を育てています。でも花芽がつきません。なにが気にくわないのでしょう? せっかく垣根を作ってあげたのに。朝顔でも育てられないのかと笑われそうです。こころあたりが一つあります。それは野菜の与える肥料を朝顔にも与えてしまったということです。茎と葉が勢いよく伸びています。蔓の先はできるだけ切ってはいるのですが。  

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